荒谷神社と永平寺(福井県)

2017年7月18日

walking japan 福井


Googlemapを見ても載っていません。
もう何年前かな……まだ営業として全国飛び回ってた頃なので10年前くらいになるかも。
年を重ねてある程度の立場になってしまうと、部下の出張決裁はできるのに自分は出張出来ない、というジレンマが。
福井に出張した際に、どうせだったら永平寺に行ってみようと思い立ち、営業車(もちろんレンタカー)で永平寺へ。
福井駅前から美濃街道、一乗谷経由で永平寺に行くのではなく、営業先の関係で福井バイパスから416に入って一乗谷とは反対の北側から永平寺に向かいました。
観光客向けとして有名な團助ごまどうふの本店を通ってすぐ近く、吉田郡永平寺町荒谷のカーブの所に鳥居が見えたもんだから、これは!と鳥居前の空きスペース(いやこれも多分私有地だと思いますが……)に車を止めて、神社へ。
かなり両端が起き上がった新しめな明神鳥居でしたが、数段しかない石段は古びており歴史はあるのではないか、と。
「変わった鳥居だな」と思いつつ一礼して鳥居をくぐって杉林の中を上へ。
小さい神社なのですぐに幣殿が。
きちんと手摺が設置されていて、それなりに管理はされているようでした。
見込んだ通りの古い神社で、
昭和15年9月 支那事変凱旋記念の文字が刻まれています。
あまり陸戦史に詳しくないですが、支那事変が収束していない1940年に「凱旋」とあると言うことは、南京攻略でしょうかね。
福井は京都師管区で第16師団と第53師団、53Dは編成が1941年だから違うでしょう。
16Dは南京攻略後には徐州、武漢と転戦して1939年8月に復員していますから、これに従軍していた人たちなのかな?

で、予想通りの歴史を感じたことに満足して参拝し、車に戻ったところにパトカーが。
いやまあ……平日の真っ昼間から誰も車を止めないような所でゴツいカメラ(この時もα900持ってました)抱えてネクタイ締めたのがいたら、そりゃ職質しますよね。
名刺と免許証見せて事情説明したら、永平寺まであと何分くらいだから気をつけて、とあっさり開放されましたけど。

そのまま杉林のこんな景色を横目にしつつ、
364号沿いに車を走らせます。
すぐに永平寺に到着。
曹洞宗の大本山、観光客も厳しい制限を守らなければなりません。
それだけに寺院内は非常に厳かな雰囲気で、修行僧の方々の日常的な修行風景ありのままを見学することができました。
まだ頭のおかしい中韓連中が押し寄せてない頃だったのが良かった、というのもあるかも。今はどうなのか……ほんと、あいつらは入国禁止にして欲しい。

門前は土産物屋などがひしめいており、急に俗世に引き戻された感じがして落差に戸惑いますが、一生に一度は行った方が良い場所かと。
この後は一乗谷に寄りましたが……あそこは特筆すべきものは何もないかな。失敗したレジャー施設みたいだし。